オンラインとオフライン
外出自粛でテレワークやオンラインミーティングが日常になりつつありますが、世の中には、どうしても現場に行かなくてはならない仕事もあります。
その代表格とも言えるのが、医療福祉。
週に数日ですが、ご縁があり現場に復帰しました。2か所お世話になっていて、どちらも障害児の支援施設です。
元々、学生時代から障害児者の医療や看護に興味があり、看護師として療育センター(未就学の障害を持つお子さんの保育所的な施設)で勤めていました。
kinariを立ち上げようと思ったきっかけも、障害児者や家族さんたちと関わってきた経緯が根底にあります。
久々の現場でそれはもう、ポンコツすぎて全然動けていないのですが、そんな新入りにも無邪気に接してくれる子どもたちが可愛すぎてやばいです。
あー。この感覚、久しぶり。
ただ、障害児を支援する各事業所は今、とても大変なことも事実。(なのでポンコツでも「手伝いに来てー」と言ってもらえるのではなかろうか…)
障害児を預かる施設(放課後デイ、児童発達支援など)は原則、休校措置が取られていても開けています。
そうでないと、仕事を持つ親御さんたちはもちろん、家族にとって「そこ」がないと一息つく時間すら無くなってしまうこともある。高学年であっても「ちょっとくらい一人で留守番できるでしょ…」が通用しないのです。結果として、虐待につながってしまうことも…。
それがわかっているからこそ、リスクを天秤にかけてでも、ぎりぎりまで閉めるわけにはいかない…そんな現実が、福祉施設の多くにあるのだろうと察しています。
そして現場では、障害児たちにすんなり指示が通るはずもなく…
ソーシャルディスタンスを取ること、マスクの着用、手洗い、どれを取っても一筋縄ではいきません。「三蜜を避けよう」なんて重々承知ですが、難しさを痛感。
「移ってはいけない、移してはいけない」という意識で予防策は講じていても、大丈夫かな…という感覚が拭い去れない人は私だけではないはず。
コロナ最前線で活躍する医療従事者たちへの感謝は、いろいろなところで取り上げられ、まるでヒーローのような扱いをするメディアも散見します。(おそらく当事者たちは日々の業務を粛々とこなしている、のが現実だと思いますが…)
その反面、医療に比べ福祉は注目度が低く、高齢者はまだしも、障害児者関連は関係者以外にはほぼ知られていないのでは?と思うレベルで情報が少ない。。。(良くも悪くも、PR下手な福祉業界を感じます)
病院以外でもリスク背負ってがんばってます、医療福祉職。この現実がもう少し、世の中に浸透したら、障害児(者)福祉の改善にも繋がるんじゃないかしら…。
小さな手を繋ぎながら、お散歩した道中でそんなことを思うのでした。
4月1日
昨日、退職しました。
(エイプリルフールではありません、マジです。)
職場も日本も、世界も落ち着かない状況での退職…
ギリギリまで実務に追われ、
あまり実感が湧いていないのも正直なところです…。
先生と呼ばれる仕事に就きながら、
こちらが学ぶことばかりで、
生徒たちに学びを伝えることは難しく、
明確な答えがないまま、7年間。
それでも、退職の2日前。
この春から小児科配属が決まった卒業生から
「先生の話を聞いて小児科希望しました」と聞き、
なんとも言えず、救われた気持ちになりました。
同時に、誰かの人生に影響を与える仕事だったんだと、改めて感じました。
看護師と教員の共通項って、そこかもしれません。
退職についてはいろんな方に「もったいない」と言われました。
一理あると思います。
公立学校の教員と言えば、社会的地位、安定感、やりがい…メリット豊富な仕事です。
しかも、今はこの社会情勢…。
けれど、私にとっては、
「辞めないともったいない」
そんな感じです。
また違った形で、誰かの人生に触れながら、
生きていきたいと思います。
はじまり、はじまり。
決断力
今年度も、まもなく終わり、4月が始まります。
(写真は昨年のものです)
いつもなら、お花見の計画をしている頃ですが、
今年は今まで経験したことのないような、新年度を迎えようとしています。
日本が、世界が、これからどうなるのかは、
誰にもわかりません。
ただ、今の状況を見極めて、
よりよい結果が得られるところへの、
決断力が求められることは確かだと思います。
少し前、決断力に関するお話を聞きました。
改めて考えると、
ある程度の年齢になれば、
何を食べるのか〜生死に関わる選択まで、
程度の差はあれど、
日常は決断の繰り返しです。
決断力…とは、
難しいようだけれど、単純なこと。
何をするのか、何をしないのか。
何を選ぶのか、何を捨てるのか。
結局、決めるのは自分。
kinariの本格始動もまもなく。
これからも、生きやすく成るよう、
よりよい「決断」をしたいものです。
まだしばらく、落ち着かず、
油断できない日々がつづきますが、
ご自愛くださいませ。
さて、今日は何を食べようかな。
おたまじゃくしトラベラー”おたま”のこと
某感染症で騒がしいですね…
医療関係者という職業柄、(まあまあソースがはっきりしている)情報が入ってくるので、自分なりに精査しつつインプット。必要に応じてアウトプットしています。
しかし、パニックになればなるほど「正しい情報」って浸透しにくいのだなと痛感。。。
そんな中だからこそ、不安を煽るばかりの情報ではなく、視点を変えた発信も必要かもしれません。
というわけで、“おたま”の話。
「おたまじゃくしトラベル」という企画があり、
双子のおたまじゃくし(あみぐるみ)がおりまして…。
片方は入院していて外出が出来ない子どもの元へ、もう片方はトラベラーへ届けられ、旅に出ます。
両者には紐付けできる共通ナンバーがあり、#を付けてSNSに投稿することで、入院中のお友達や家族がトラベラーの様子を確認出来るというシステム。
おたまじゃくしたちはデイサービスなどの施設に通うおばあちゃんたちが編んでいて、まさに、「三方良し」
<以下、HPより抜粋>
「おたまじゃくしトラベル」は、誰もが楽しく、簡単に誰かのために役立てる社会活動の仕組です。自分の子どもが長期入院した経験を持つお母さんが考えました。
■この活動の目的■
①自由に外の世界で遊んだり、学んだりすることができない子ども達に外の世界の
出来事を届けること。
②365日24時間子どもの看病をする家族の存在を沢山の人達に知ってもらい、
支援の輪を広げること。
③シニアに社会参加する機会を提供すること。
■おたまじゃくしの役割■
おたまじゃくしには「もうすぐカエルになる=もうすぐお家に帰れる」という意味が込められています。
おたまじゃくしは早く病気が治ってお家に帰れるようにとの願いがこもったお守りです。
おたまじゃくしは子ども達と一緒に成長する友達です。
おたまじゃくしは沢山の人の想いを載せて外の世界を旅します。
おたまじゃくしは外の世界で人と出会い、たくさんの経験をします。
友人がSNSでアップしていたのがきっかけで、この企画を知り、
晴れて我が家にも、#2176”おたま”(命名は各自)がやってまいりました。
今や、近くも遠方も(サ活も)、どこに行くにも、サコッシュやポッケに「おたま」が居ます。
もはや相棒ですね。
とはいえ、現状は積極的なお出かけは自粛ムード。。。
けれど、どこかでおたまの様子を楽しみにしている「おともだち」に、違う形で発信できればと、
最近は動画に登場しています。
おそらく、おたまじゃくし界初のYouTuber笑(ぜひ、チャンネル登録よろしくお願いします☆)
もう一人の相棒(こっちは人間)とおたまのアドリブ100%の内容でお送りしています。
今後は広報として、kinariのSNSにも登場してもらおうかと検討中。
どこかで見ている、あの子のために。
たくさんのおたまじゃくし仲間のために。
おたまとともにいろんな場所で、いろんな経験を発信したいと思っています。
そして、今こそ、笑いも大事。免疫あげましょう。
フクシっておしゃれよねー、の話
Kinariは福祉をオシャレに、というコンセプトでやっていく(予定)です。
アールブリュット(※註1)で福祉を変える。
とか、かっこつけたことも書いていたりしますが、SNS仕様ですw
ただ、「福祉のイメージを変えたい」というのは事実。
悲しいかな、「良いことしてるのに、ネガティブな印象を持たれがち」なのです。
慈善的で、ボランティア要素が強く、“お金を儲けはタブー”という謎の思考が蔓延していて、
「低賃金で大変な仕事だー」という、自己犠牲的イメージも根強い…。
そんな印象を、アールブリュットは「フクシっておしゃれよねー」に変える力があると思うのです。
実際、ヘラルボニー(https://www.heralbony.com/)やしょうぶ学園(http://www.shobu.jp/index.html)など、めちゃくちゃかっこよく且つおしゃれに、事業展開をしているところもあります。
もう、福祉の概念とかどうこうではなく、そのセンスに脱帽…。
しかも、会社としての経営も上手くいっている。(と思われます)
いずれ法人化も検討していく上で、「営利か非営利か」 に関しては悩ましいところでした。
先述のネガティブイメージ然り、福祉やアートは「お金にならない」という固定概念もあり、
収益に直結しにくい事業であることも事実。
けれど、ある人が「人助けはお金がないと出来ない」と、さらっと発言していて、「あ、そりゃそうだな」と妙に納得。(単純…)
可能性はゼロではない、非営利に拘らずとも、アイデア次第で何とかなるんじゃないかと思っています。(楽観的…)
しかるべきところにお金が循環して、みんなが生きやすく成る仕組みを模索中。。。
福祉に関わる人材を減らすわけにはいかないご時世。
若い世代にこそ、ポジティブな感覚で、福祉に興味を持ってもらいたいのです。
kinariはそういう一助にもなれたらよいなと妄想しています。
※註1…アール・ブリュット=生(き)の芸術
ジャン・デュビュフェ(Jean Dubuffet)による造語。伝統や流行・教育などに左右されず、自身の内側からわきあがる衝動のままに表現した芸術を示す。障害のある人のみだけでなく、子ども・素人芸術家らの作品を指す。
看護師のこと、コミュニティーナースのこと
なんやかんやで約20年、看護師として働いています。
病院や施設、学校など、いろいろな場所で看護師をしてきましたが、全ての経験が財産です。
今春で現職の退職が決まり、起業準備中です…と話すと看護師やめちゃうの?と聞かれることがあります。
結論…やめません。笑
そもそも、「看護師ってやめられるんかな?」と思うのです。
病院をやめる、とか物理的な部分では「やめる」のかもしれませんが。
看護師って、ついお世話をしちゃう「おせっかいモード」が標準装備されていて。
公私問わず、おせっかいがやめられない、とまらない。
まあ、かっ○えび○んみたいなもんです…笑
そういう意味で、看護師はずっと看護師なのかなと、そう思うわけです。
今後は、そんなおせっかいを武器(?)にした看護師、「コミュニティーナース」として生きてゆこうと考えています。
コミュニティナースとは、資格や職業を示す言葉ではなく「人とつながり、まちを元気にする」という、実践の概念です。
※詳細はリンクをご覧下さい→ https://community-nurse.jp/
なので、コミュニティナースの仲間は看護師だけではありません。
1月から「コミュニティナースプロジェクト」の10期生として研修を受けているのですが、受講生には看護師以外に、セラピストや理学療法士、医師もいます。
いろいろな経歴や背景の持ち主が集いすぎて、個性が渋滞している…笑
そんな仲間たちやスタッフの方々おかげで、これまでの看護系研修とは全く違う、ワクワク感や面白さ、発見だらけです。
内容の濃さはエスプレッソ並で、毎回脳みそ飽和状態…フィールドワーク後は謎に疲れます。無論、良い意味で。
そんな研修も次回で最後なのですが、正直、楽しすぎて終わって欲しくない。。。
もとい、
アート(アールブリュット)をツールにしたkinariの事業も、手話のことも、他にやりたいいろいろ(スパイスナース・けん玉ナース・サウナース)も。
全て「コミュニティーナース」としての活動にリンクしているなと感じるのです。
「ヒトとモノ、コトをつないで、まちをげんきにする」
これからも看護師として、コミュニティーナースとして、
起業に向け、全力でおせっかいを楽しみたいと思います。
手話のこと その2
ずいぶん投稿が開いてしまいました。
あけましておめでとうございます。笑
さて、昨年末の続きを…
地域の通訳派遣事業に登録し、かれこれ20年以上になります。
とはいえ、本業もあるので依頼が受けられるのは月に数件…超微力なのですが…。
細く長く続ける中で、講演会通訳で著名人にお会いできたり、テレビのワイプに入ってみたり、なかなか貴重な経験をさせてもらいました。
日常会話には困らないレベルだと自負している手話ですが、通訳となると別。
日本語⇔日本手話変換が必要になるので、脳ミソフル活用。伝えるってムズカシイ…。
新しい手話も覚えなくては…。
できる限り、お話ししている方の思いや意図を的確に表現できるよう意識していますが、通訳中に「ん?」みたいな表情を見ると「ま、まずい…(-_-;)」という心境になります…。
逆に「へぇー」とか「ほぉー」とか、伝わった感があると、とても嬉しくて楽しくて、ほっとします。
そんなわけでこれからも、言葉と言葉をつなぐ仕事は続けていきたいと思うのです。
いずれkinariでは、手話通訳事業をもっと自由に、行政とは違うアプローチができるとよいなと考えています。
例えば、物語や歌詞の翻訳とか。
言語であり、表現方法としての手話の魅力を発信できるプランを思案中です。