手話のこと その1
手話は言語であると同時に、その表現は芸術的な要素も含んでいると考えています。
なので、kinariとしては手話もアールブリュットの一端と捉え、アートとしての手話の魅力を引き出したいなあという思いもあります。
手話と出会ったのは、高校2年生。もう20年以上前になります。
看護師を目指していたので、「病院で働いたときに聞こえない人が来たら困るだろう。(自分も相手も)じゃあ手話か…」という超安易な発想から、市役所で手話サークルを教えてもらったことが始まりです。
いざ、サークルへ入ったものの、それまで生の手話は間近で見たことはなく、予備知識ゼロの状態。単語の表現をいくつか覚えたら、何とかなるかなーという考えは一蹴され、びっくりの連続でした。
手話は世界共通ではないこと、日本手話は日本語と文法が違うこと、方言があること。
つまり、手話は言語であること。
そして、その背景にろう文化があること。
目から鱗なことだらけでしたが、知れば知るほど面白い!と感じました。
知らない世界を知ることの面白さを知ったのも、手話がきっかけかもしれません。
今でも、どうやって手話を覚えたんですか?という質問は良く受けます。
これが、なかなか難しい質問で、「一生懸命、勉強しました」という感覚はゼロ。強いて言うならば、「使わざるを得ない環境に身を置く」ことでしょうか。
手話サークルに高校生が一人でふらりと来るなんてことは、当時珍しく、ろう者たちがサークルのあとやプライベートでも遊びに誘ってくれました。ろう者に囲まれ、聴者は私だけ、という「手話を使う」という観点ではかなり恵まれた環境。
結果として、ショートステイをしているような状態で、自然と手話を身につけることができたのだと思います。
気づけば半年くらいで日常会話には困らなくなっていました。
その後(そそのかされて)、県の認定試験を受け、高校在学中に手話通訳者になるという、まさかの展開になるのですが…。
ちょっと長くなりそうなので、続きはまた。
わがままに生きること
今頃ですが、
「こんな夜更けにバナナかよ」
を観ました。
ネタバレになるので、多くは書けませんが、
わがままって素敵、と思える作品でした。
アールブリュットに関わる仕事がしたい、
という根底には、
その作品が生まれたプロセスと作品そのものが魅力的である、という理由があります。
なぜ魅力を感じるのか。
感覚的なウエイトも大きいので、言葉での説明がしづらいところもありますが…
単に描写が斬新、というだけではない、
驚きに近い面白さ、そんなところに惹かれています。
そして、究極の自己表現=わがまま、であること。
言葉を使わずとも、自分を表現することに長けていて、自己表現(自己分析)が苦手な私としては、ある種の羨望すら感じます。
無い物ねだり、です。
自分を出す、わがままである、ということはとても大切なこと。
自分を大事にすることにも繋がる気がします。
人を看ることを生業にしてきたせいか、つい自分を二の次にしてしまいがち…
しかも、それは無意識で、癖みたいなもの。
アールブリュットに見習い、
もう少し、わがままに生きてみようと思うのでした。
kinariの由来
はじめまして。
kinari代表のぱっち(仮称)と申します。
主婦、母、看護師…その他諸々、いくつかの「顔」を持っています。
諸事情により、今しばらく素性を明かせないので、学生時代からのニックネームでご勘弁下さい。正体を知りたい方は、春までお待ちを。
kinariは2020年4月を目標に、福祉とアート(福祉プロダクト)・手話に関わる事業を展開すべく、動き始めました。
看護学校を卒業後、福祉系の大学に通っていたので、学生の頃から障がい者(児)に関わり、その方たちの文化が傍らにありました。
それに加えて、絵や表現活動も好きでした。「アウトサイダーアート」(障がい者の芸術)というジャンルがあることを知った時、いつか面白いことができたらなあとぼんやり考えていたのは、もう20年くらい前の話です。
転機は1年半程前。ある出会いがきっかけとなり、「いつか面白いことができたら…」が仕事になろうとしています。(きっかけ、のお話はまたの機会に追々)
今は、アウトサイダーアートという言葉から、「アールブリュット」という表現に変わりつつあり、障がい者(児)の芸術文化活動は確実に注目されつつあります。
昨年は障がい者の芸術活動に関する法案も可決され、来年にはパラリンピックも控えており、追い風しか吹いていない状況です。
やりたいことも、たくさんあります。
けれど、いざ仕事、事業展開…となると、悩ましいことこの上なし。
4月から事業展開ができるのかも、正直、不安だらけな状態です。
そんな日々の一喜一憂も含め、これからの活動に関わること、見聞きした面白いこと、感じたことを記録に残すべく、ブログを立ち上げることにしました。
初投稿の締めに、屋号の由来を。
kinari=生成、の意味は大きく二つあります。
一つ目は色としての意味。白よりも自然で、素のままを表している色なので、無地のキャンバスに、いろんな色を重ねていこうという意図があります。
もう一つは「生成」という文字から。
kinariと出会う人々が「生きやすく成るように」という思いが込められています。
また、「生」という文字には「新たに生じる」という意味、「成」には「出来上がる/成就する」という意味があるので、新たなものを創造していくワクワク感も大事にしたいです。
今はまだ、生成色の『kinari』をどうぞ、よろしくお願いします。
数年後には、色とりどりに。